私たちはインパルスレスポンスを3Dオーディオ用に実際に記録したものが市場にないことを知り、史上初の高次アンビソニックスインパルスレスポンス商用ライブラリの実験と制作に取りかかりました。今回はその舞台裏を紹介します。
マイク
まず最初に決めなければならなかったのが、どのマイクを使うかです。たくさんのセットアップを試しました。1次アンビソニックス用のマイクはいくつかの選択肢があります(Oktava MK-4012や、よく知られているSennheiser Ambeo VRなど)。プロジェクトを開始した時点では、どのようなフォーマットでIRを収録すればいいのか、まだよくわかりませんでした。ご存知のように、世の中には使用できる3Dオーディオフォーマットがほかにもあります。もちろんSchoepsのORTF 3Dセットアップも試しましたし、これはとても良い音でした。ところが制作環境でこれらのIRをテストしたところ、どうしても修正できないノイズが見つかったのです。またアンビソニックスのセットアップほど、リファレンストラック(後述)に近づけることができないことに気づきました。さらにヘルメットや箱や車からIRを収録する場合は、小型マイクのセットアップの方が当然有利です。ただアンビソニックスマイクの最大の懸念は、空間的な解像度が3Dオーディオに不十分ではないかという点でした。ところがこれはFOA(1次アンビソニックス、First Order Ambisonics)だけの問題でした。さっそくHOAの候補を探ることにしました。こちらはマイクが限られます。
ライブラリ用に私たちが必要とする柔軟性を提供してくれたのが、mhAcousticsのEigenmikeでした。カプセル32個のコインシデントマイクアレイです。Eigenmikeの最大の利点は、32個すべてのカプセル(Aフォーマット)でレコーディングすると、あとで様々なフォーマットを計算できるということです。最終的に1つのレコーディングでアンビソニックスの1次~3次を入手できると同時に、モノラル、ステレオ、サラウンドのそれぞれのマイクの特性を自由に生成できます。ステレオのインパルスレスポンスにはこの32chをソースとし、ORTFの特性を計算しました。
とてもナチュラルな音が得られ、Eigenmikeは実用的なメリット(セットアップ、大きさ)だけでなく、通常のアンビソニックスマイク以上に空間的な解像度を延ばす可能性を提供してくれました。私たちはサラウンドやVRのレコーディングにはやはりアンビソニックスよりORTF3Dを好みますが、今回のプロジェクトではあえてEigenmikeを選びました。
潜水艦
励起の選択
インパルスレスポンスを収録するには、キャプチャする空間を励起させる必要があります。ピストルを発砲するという、私たちも屋外インパルスレスポンスのライブラリ用に使った方式は知っていると思います。発砲は教会内や屋内全般の収録には使えません。そのようにインパルスを発射すると、必ず自然な確率変数が発生します。スイープの方が絶対的に再現性が高く科学的です。またMLS (Minimum Length Sequence)の測定で空間を励起することもでき、試してみました。比べてみると、SN比はスイープの方がはるかに優れていました。
次はラウドスピーカーの選択
インパルスレスポンスの記録に最適なラウドスピーカーについて考えた時に、まず頭に浮かぶのが a.) 周波数特性と、b.) 大部屋を励起させるだけの力があるのか、という2つの条件です。
最初は無指向性スピーカーを使ったテストを行いました。ところが私たちのニーズに合うものはみつかりませんでした。その1つの理由が周波数特性でした。無指向性スピーカーは主に屋内の音響向けです。周波数特性が最大でも10 kHzまでしか上がらず、その後急激に低下します。ポストプロダクションのEQ処理でこのような周波数を取り戻そうとしましたが、思うような空間的な感覚を達成できませんでした。何を試しても結局は通常のスタジオモニターに戻ってきました。多くの場所でGenelecs 1030を使用し、規模の小さいロケーションでは小型のYamaha HS-50も使いましたが、これが意外に良い音でした。さまざまなスピーカー構成を試しましたが、私たちが一番気に入ったのは2つのスピーカーをマイクアレイの方向に向けて1台、逆に向けて1台という配置でした。マイクに背を向けたスピーカーを1台追加することで、空間知覚に深みが多少加わり、アーリーリフレクションの明瞭性が低下しました。アーリーリフレクションはアルゴリズムによるリバーブを使ってランタイムに簡単に追加でき、ランタイムの空間内の音源定位にも役立ちます。最初はこれを念頭に無指向性スピーカーを試したのですが、2方向にスピーカーを配置することが音的にも技術的にも最良のソリューションであることが分かりました。
スピーカートンネル
レコーディングガレージ
無指向性スピーカーを試す
インパルスレスポンスの収録の旅をはじめると、十分な電源確保が難しい時もあることに気づきました。当初は屋内限定のライブラリにする予定だったため、考慮していませんでした。ところが古いトンネル内のレコーディングセッションなどは、自由に動けることが重要になってきます。Hyundaiのポータブル電源HPS-600を購入し、スピーカー2台(大音量)、マイク、インターフェース、そしてMacBookに必要な電源を持ち運べるようにしました。
移動型セットアップ
品質保証:
インパルスレスポンスに「完璧」も「正しい」もありません。レコーディング機材は信号を色付けし、スピーカーやマイクの配置によって部屋の印象は常に変化します。実際の位置は現場ごとに自分の耳を頼りに決めることが多かったです。
ソフトウェア側の手間のかかる処理(デコンボリューション、AからBへのフォーマット変換、トラックのインポートやエキスポートなど)は、チェインに不要なノイズを追加してしまう可能性が高いことが判明しました。最悪のケースではIRが使用不可能となってしまいます。結果を信頼できるものとするために、どの現場でも必ずリファレンストラックを録りました。インパルスレスポンスを収録する前に必ず4つのジャンルの音楽(ファンク、クラシック、ロック、ボイス)を再生して、全く同じ位置にマイクを配置して録音するようにしました。こうすれば必要に応じて、自分たちのインパルスレスポンスを適用したコンボリューションのシミュレーションと、実際のアンビエンスで収録したリファレンストラックを、あとから比較できるわけです。
良いインパルスレスポンスを得るにはマイクとスピーカーの間に一定の距離が必要です。スピーカーの直接音をできるだけ避けたいからです。私たちは常に、間隔、マイクのゲイン、スピーカーの音量、そして周囲の壁のバランスを巧みに調整しながら適切なS/N比を目指しました。オリジナルのリファレンストラックではそのノイズが聞こえますが、これは32のオーディオチャンネルをバイノーラルに集約させたものだということに留意してください。
次にインパルスレスポンスの全32チャンネルのノイズを同時に除去する方法を見つけましたが、簡単ではありませんでした。ノイズが入ったリファレンストラックの録音と、該当インパルスレスポンスを使いコンボリューションを適用したリファレンストラックの、A/Bテストができる状態になりました。オリジナルにノイズがなければ、どちらがオリジナルなのか、かなり分かりにくいと思います。ブラインドテストを行ったところ、正答率は50%でした。オーディオのプロたちが参加したテストグループで目立った差が検知されなかったことを意味し、非常に満足のいく結果でした。
ロケーション:
私たちが目指したのは、特にビデオゲームやポストプロダクションの分野で、クリエイティブで没入感のあるサウンドデザインを可能にする空間をキャプチャすることでした。結果的にそれ以外にも音楽的な意味で非常に適した空間も、もちろんいくつかありました。空間の種類も幅広く、教会、トンネル、廊下、そして台所やトイレなどの日常的な場所も取り入れることができました。さらに潜水艦のような非常に特別な試みや、箱やヘルメットを使った実験的な収録もありました。
私たちにとって、それはとても楽しいプロジェクトでした。HOAインパルスレスポンスライブラリを活用して正確な音にすることで、場面の音を印象に残る信ぴょう性の高いものにしたり、さらにクリエイティブな工夫をしていただきたいと思います。
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