音のない日

サウンドデザイン

物心がついたころから音楽を愛し、20年近くサウンドを生業としてきた私は、10月のとある日に、自分が音の無い日を過ごしたことがないことに気付きました。誰でも、小さいころ目隠しをして遊んだり、暗い中を手探りで歩いたりして、一時的に視覚をなくしたことはありますが、聴覚を「オフ」にすることは、できません。音のない一日を過ごしたら、私は何を学べるだろうか? 

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そこで実験として、目が覚めている間は音のない日を、一日過ごしてみることにしました。朝起きてから、22~26dBのノイズリダクションを謳うHappy Earsという耳栓(付け心地のよいシリコン製の耳栓)を付けました。次に、上から保護用イヤーマフ(射撃場や建設現場などで使われるタイプ)のHomitt Ear Defendersを装着しましたが、こちらも34dBのリダクションを謳っていました。健康な内耳では何も聞こえなくなることはなく、耳を通る以外にも骨伝導で多少の音は聞こえますが、それでもかなり聴覚の無い状態に近くなりました。非常に大きな音でもないかぎり、私にとっては、まったく音のない一日が始まりました。

 

その「一日」というのは...

私は気を付けて階段を降りて、台所に入ります。床板を踏む自分の足音が聞こえないので、足がどこにあるのかに注意しなくてはなりません。飼い犬の金属皿を床から持ち上げてもいつもの金属音がしないので、一瞬ひるみます。今まで気付きもしなかったのに、聞こえないと、とても寂しく感じる音は、これが最初でした

犬と散歩に出かけます。雨が降っていて、すぐに傘に落ちる雨の音や、雨樋を流れる水の音が、恋しくなります。一番好きな音が雨音なので、それを聞き逃すのが惜しくて、雨が降っていない日にやり直そうかと迷いますが、意を決して続けます。ほかにも音が必要と思われる理由を頭の中で並べ、危険ではないか、と考えたりします。今はちょうど家族が不安定な状態なので、誰かから大事な電話がかかってくるかもしれません。次から次へと言い訳を考え出していくうちに、音から切り離されてしまった今の自分の不安感が気になりだします。丸一日、もつのだろうか?音の安心感がないと、ストレスがたまり、不安になります。

早朝の暗闇の中で、車庫から出てくる車が見えますが、それを事前に知らせるはずの音は聞こえません。周囲で何か起きているのか、視覚を研ぎ澄まさなければなりません。犬の首輪のジャラジャラした音が聞こえません。ハァハァと吐く息が聞こえないので、犬の今日のご機嫌も分かりません。老犬の彼は湿気があると疲れやすいのに、息遣いが聞こえてこないので、どれだけ遠くに行けるのか迷います。うしろから人が来ても聞こえないので、犬を自分に引き寄せるのが間に合わず、迷惑そうな顔をして通り過ぎるのが分かりますが、チェっと舌打ちしていたとしてもそれは私には聞こえません。私が謝ると、自分の声が頭の中で反響して、大きく妙に聞こえます。自分を取り囲む沈黙と同じくらいに、静かになりたい、という強い願望があります。 

公園の向こう側で工事中の交差点からは、騒音が聞こえません。トラックがバックするビーッビーッという音が四六時中鳴って気が狂いそうになっていたので、自分の一番嫌いなこの音が聞こえなくなり、ほっとします。毎朝会うランナーたちはきっと私に「おはよう」と言っていますが、私は軽く傘で会釈するだけ。自分の行動がすべて大きく聞こえ、一歩踏み出せば頭の中で鳴り響き、まるで体の中で骨と骨が擦り合っているようです。自分の呼吸の音。背中がいつもより痛く感じ、肩まで痛くなってきたのは、気のせい?それとも、普段より自分の体に耳を傾けているから?

家に戻り、コーンフレークをよそるときに、器に落ちる音を聞いて一杯になるのを知ろうとして、我に返ります。電気ポットの中のお湯は、湧き上がって電気が消えてからでないと、沸いたと気付きません。コーヒーを注ぐとき、見ながらでないとできません。いつやめるのか、音だけではもう分からないのです。注意する必要があります。コーンフレークは頭の中で大きな音をたて、もし巨人がちっぽけな家を踏みつぶせばこういう音なのかも、と思わせます。 家の電灯はほとんどLEDに交換済みなのに、1つだけ廊下に残った蛍光灯があり、私を悩ますその低い電気音が、今は聞こえません。少しずつ外が明るくなると、上に顔を向けて電気を消したかどうかを確かめないといけません。ニュースを読んでも、自分で選んだBGMで気を紛らわすことができない分、いつもより読む内容に打ちのめされ、結局消す羽目に。SNSは、さらにひどいです。一言一言が、音楽の和みで緩まることがないので、きつく感じられます。私はFreedom Appを開き、ニュースやSNSをブロックして、再びネットをチェックして気分が暗くなるのを防ぎます。仕事を始めることに。基調プレゼンテーションをするので、その準備をしなくては。講演内容は「音」。何も考えず音楽をかけようとして、またもや、どうしていいのか分からなくなってしまいます。そのあとの数分は、何度もSpotifyやiTunesに手が向いてしまいます。自分のキーボードを打つ音さえ聞こえず、間違いがさらに増えます。

午前8:30の時点で、自分の心臓音が頭の中でどんどん大きくなっているように聞こえ、ドックン、ドックン、ドックンと鳴ります。隣人の動きを感じます。音は聞こえないのに、私の机は隣の人の壁に突き合わせて置いてあるので、振動が伝わってくるのです。そんなの、今まで気付いたことがありません。 

午前9:30になると、自分がもっと静かになったのに気付きます。周りにノイズがないことで、まるで神秘的な空気が漂っているような気がするのです。神聖な場所に足を踏み入れた途端に、非常に静かにしたくなるののと、似ています。自分の物音が、その静寂の美しさと落ち着きを乱してしまうかのように。犬に「よしよし」とささやくのは、沈黙を破るのが、彼にとってでなく自分にとって、嫌だから。 

午前10時。静けさに参りそうになります。音楽を聞きたくて仕方がないのです。今までを思い出そうとして、音楽を聴いたことのない日なんて、きっと一日もないことに気付きます。入院中も、最初に持ってきて欲しいとお願いするのはウォークマンでした。15歳くらいのとき、病室に来た看護師が私のカセットコレクションを見て、音楽の趣味をほめてくれたのを思い出します。昔はイヤホンをセーターの袖口に通して片方の耳だけにつけ、音楽を聴きながら授業を受けていたのに。音楽は常に存在していました。いつもある安心感が消え、表現のしようがないくらい寂しくてたまりません。 

毎日、自分を取り巻く音に敏感なはずの私でさえ、日々の生活の中で特に気にも留めていない音がどれだけあったのかに気付きます。私が気付かなかった音がこんなに沢山あるのでは、ほかの人は日常生活の中でどれだけの音を聞き逃しているのか? 

ドッグシェルターからもらってきて、もう14歳になった年寄り犬は、この一年、水やおやつや遊び相手が欲しいときに、床をそっと足でたたき私の注意を引くようになりました。前は私に寄ってきて邪魔をしていたのですが、年老いて立ち上がるのも苦になり、わざわざ自分から来て何が欲しいのかを当ててもらうより、分かってもらうまで床を静かにたたき続けるようになったのです。今日は、まるで捨て犬のような表情で私を見つめます。充分な餌と水があることを確かめます。頭を撫でてやり、今日は彼が床を叩くのに気付かないかもしれない分、確実に愛情が伝わるように、いつもより長く一緒にいてやります。あとで気付くのですが、彼は朝ごはんを食べもせず、私は餌を、犬が勝手には行けない階下に置きっぱなしにしたのです。餌を食べるのも食べないのも聞こえなかったので、分からなかったのです。

講演の準備を一時中断し、別の作業に取り掛かろうとしたとき、またすぐに、私は音楽に手を延ばしました。ここで白状します。私は中毒者で、私の毒は音楽です。この音無し実験を放棄させようと、音楽は私を誘惑します。もう4時間近く経ったのだから、もう止めてもいいだろう。充分に体験した、と。学習した、と。もう一度、何かを聞きたい、という思いに必死に抵抗します。タバコを吸ったことはありませんが、禁煙とはきっとこんな感じなのかな、と思います。

いつもよりネット接続が遅いのかな?それとも、サウンドトラック無しだから、時間が遅く感じられるのかな?携帯が光ります。メールです。どれだけ長く光っていたのかは分かりません。私の中毒症状が身に沁みます。もうお昼休みにして、音楽を聴こうよ、と自分を説得しようとします。もう充分。自分の主張を通した、と。車を運転するとしたら、音無しで運転するわけにはいかず実験を中断せざるを得ないので、車で行く用事がないか、と考え始めます。行かなくてはいけない場所なんて、思いつきません。音の引力がこれほど強いとは、予想しませんでした。昔は耳が聞こえて、今は聞こえなくなった人たちのことを思うと、泣きたくなります。聞こえていたのに、それを失うなんて、どれほど苦しいことか。

良い点として、自分が思慮深くなった気もします。不安な気持ちは高まったはずなのに、ストレスは軽くなりました。こんなに気が散っていなければ、瞑想とはこんなものなのかも、と思います。外を見て、木が植えられていることに気付きます。機械で穴を掘っているのに、私には聞こえません。そのとき、くぐもった音の表層のようなものが聞こえます。杭打機が沈黙を一瞬だけ破ったのです。その音が、ありがたいです。まるで森の中で迷子になって、やっと人に会えたような気持ちです。その音に、旧友に会ったかのようにニヤッと微笑みます。すると、それが止み、また独りぼっちになります。

午後3時には、外耳道がとても痛くなります。もう、音がなくてイライラしています。不満がつのります。耳鳴りがして、常に高いピッチの唸り音が聞こえます。耳栓は短時間の付け心地が良いのですが、イヤーマフの圧力も加わり耳介が押さえつけられ、耐えられません。あと数時間、と自分に言い聞かせます。

自分の設定した締め切りまであと2時間という午後5時に、ギブアップします。外耳道が痛すぎて続けられません。10時間経っています。 

耳栓やイアマフを外すと、世界が新しく感じられます。どんなに小さな音にも気付くのです。外でバスケをして遊ぶ子どもや、ポゴスティック(よりにもよって!)でピョンピョンはねる子どもや、少し離れた道路からくる、車の流れるやわらかい音。飼い犬の息が戻り、夕飯の時間だ、と床を叩きそっと訴えます。もう一度、一緒に散歩に連れ出すと、今度は屋根を流れる雨音が聞こえ、雨樋から溝へ落ちる流水音も聞こえ、木々にわずかに残る葉っぱが風に揺れます。どの音も増幅され、どの音も素晴らしく聞こえます。  

あとがき

サウンドパーソンとして、音に興味ある人には、この実験を1度はおすすめします。丸一日は不要でも、数時間やるだけで、普段の生活で聞き逃している音はどんなものかが分かってきます。もちろん、そのあとに音が戻れば、改めて音を受け入れるようになり、それは、少なくとも音にまた慣れてしまうまで、続きます。もしこの実験をやってみようと思った場合は、絶対に運転したり自転車にのったり、自他を危険をさらすようなことをしないでくださいね

 

 

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すでにゲーム業界の「みなしご」と呼ばれることがなくなったゲームサウンドの歴史を、ビクトリア朝のペニーアーケードから、今日の膨大な量のサウンドトラックとライブミュージックの業績まで、Beepが紐解きます。実に80本を超えるインタビューを収録し、世界各国のゲームコンポーザー、サウンドデザイナー、声優、オーディオディレクターなどの証言をまとめたBeepは、カレン・コリンズ監督によるゲームサウンドのドキュメンタリーの決定版です。

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カレン・コリンズ(KAREN COLLINS)博士

カレン・コリンズ(KAREN COLLINS)博士

ウォータールー大学のGames Instituteで、インタラクティブオーディオのCanada Research Chairを務める。インタラクティブオーディオ全般を研究し、映画向けの実験的なバイノーラルサウンドトラックや、生成ゲーム音楽や、スマートフォンのオーディオ、そしてVRオーディオやシミュレーションオーディオなどに注目する。自身でもゲーム向けオーディオソフトウェアを開発し、VeemixはUnity Assetストアで無料提供中。聴覚障害をもつゲーマー向けサウンド表示方式の特許も有する。ビデオゲームサウンドの歴史についての映画、著書、そしてインタラクティブドキュメンタリーでもあるBeep: A Documentary History of Game Soundプロジェクトの、監督兼ライター。

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